北杜市は浅川兄弟の出身地
きょうの新聞の山梨版によると北杜市と抱川市(ポチョン)市との交流事業が延期になったとのこと。毎年秋に、文化交流団を派遣したり、招待したりしてきたのだそうです。
北杜市は浅川兄弟の出身地。当時植民地としていた朝鮮に渡り、兄の伯教さんは焼き物の美を伝え、弟の巧さんは緑化に尽力したり民芸の研究をしたりしていました。
差別と偏見があたりまえのような時代に、現地の人々とわけへだてなく付き合い、40歳という若さで巧さんが亡くなったときには多くの朝鮮のひとたちが悲しんだ、とのこと。
巧さんのお墓はソウル市の郊外にあり、朝鮮の方たちが大切に守ってきてくださったそうです。
そのお墓には「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と刻まれています。
(なんと、私たちはこのソウル市郊外の忘憂里(マンウリ)というところにある巧さんのお墓にも行ったことがあります)
・・・今のような状況を、巧さんだったら、伯教さんだったらどう思うだろう・・・
きちんと歴史の事実に向き合って、「草の根交流」を育てていきたいです。
今回延期になった交流事業も、きっと復活してほしい!
「浅川兄弟ゆかりの道ウォーク」ひさしぶりに企画しようかな?