多田富雄さんの訴え

以前テレビで多田富雄さんのリハビリを追ったドキュメンタリーを見ました。
脳梗塞で一夜にして右半身不随、声と食べる自由を失ってからの壮絶なリハビリでしたが、言葉は不自由ながらゼミの学生たちに対する的確なアドバイス、大好物のウィスキーを奥様にねだる様子もほほえましかった。
仕方ないわね、という感じで奥様が用意してくれたウィスキーは、とろみのついたものでした。液体のままだと飲み込むことができないのだそうです。
それを少しずつゆっくり飲み込むときのうれしそうな表情が印象に残っています。

また言葉のリハビリでは一言わかるように言いたい、と必死で声を出す練習をされていました。
教え子の方たちが集う「多田教授を祝う会?」で、車椅子に乗って参加された多田さんがしぼりだすように出したことばは 「カ」「ン」「パ」「イ」

国際的な免疫学者であり、エッセイや能の作者としても知られる東大の名誉教授がこのような様子を撮影され、テレビで放映されることに葛藤はなかったのかと思いましたが、「いかなるものでもありのまま報道して構わない」旨のお話しをされた、とのことです。「それにしても痛々しいほどの映像だった」と多田さんのお元気な頃を知っている方が書かれていました。

こちらも居住まいを正すような気持ちになって見たことを思い出しました。

きのうの新聞に載っていたものです。

・・・・・ここから・・・・・

「リハビリ中止は死の宣告」

 私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身まひに言語障害、嚥下障害などで物も満足には食べられない。もう4年になるが、リハビリを続けたお陰でなんとか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。

 ところがこの3月末、突然医師から今回の診療報酬改定で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後180日を上限として、実施できなくなったと宣告された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。
 私の場合は、もう急性期のように目立った回復は望めないが、それ以上機能低下を起こせば、動けなくなってしまう。昨年、別な病気で3週間ほど休んだら、以前は50㍍は歩けたのに、立ち上がることすら難しくなった。身体機能はリハビリをちょっと怠ると瞬く間に低下することを思い知らされた。これ以上低下すれば、寝たきり老人になるほかはない。その先はお定まりの、衰弱死だ。私はリハビリを早期に再開したので、今も少しずつ運動機能は回復している。

 ところが、今回の改定である。私と同様に180日を過ぎた慢性期、維持期の患者でもリハビリに精を出している患者は少なくない。それ以上機能が低下しないよう、不自由な体に鞭打って苦しい訓練に汗を流しているのだ。
 そういう人がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るより明らかである。
      (中略)
 ある都立病院では約8割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。私はその病院で言語療法を受けている。こちらはもっと深刻だ。構音障害が運動まひより回復が遅いことは医師なら誰でも知っている。1年たってやっと少し声が出るようになる。もし180日で打ち切られれば一生話せなくなってしまう。
      (中略)
 身体機能の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する予防医学にもなっている。医療費の抑制を目的とするなら逆行した措置である。

 リハビリは単なる機能回復ではない。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。

 今回の改定によって何人の患者が脱落し、尊厳を失い、命を落とすことになるか。
 そして一番弱い障害者に「死ね」といわんばかりの制度を作る国が、どうして「福祉国家」といえるのであろうか。

・・・・・・・・ここまで・・・・・

 実は風路のコックも7年前脳出血で倒れ、手術・リハビリを経て、今はなんとか復帰しています。後遺症じゃないの?と疑われる面も多々ありますが・・・
 確かに早期のリハビリで目覚しい回復が見られても、その後は遅々としたかたつむりのような歩みとなります。でもこの時期こそ、これからの時期こそ大事なのだと言われました。確かにそうだと思います。 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です